「長谷川先生、少しだけ時間ありますか?」
放課後、職員室で声をかけてきたのは、担任の西本だった。
華は小さくうなずく。
机の上には、古びた分厚いファイルが広げられていた。
「この前、“くどう あおい”って名前、言ってましたよね」
「はい。短冊に書かれていた名前です」
「これ、2010年当時の生徒記録。特別支援の対応記録も残ってました」
ページの中央、丁寧な字で記された名前が目に入る。
工藤 蒼依(くどう あおい)
当時4年生。母子家庭。精神的に不安定な面があり、情緒面でのケアが必要との記録。
「在籍期間は、たった2ヶ月。夏休み明けには姿を消していました」
西本は小さく息をついた。
「実は僕、当時この子の担任だったんです。でも、ほとんど何もしてあげられなかった。
何か“関わっちゃいけない”ような雰囲気が、学校全体にあった気がして……」
「関わっちゃいけない……?」
「母親が学校に苦情を言ったらしくてね。“うちの子を特別扱いしないで”って。
でも蒼依ちゃん自身は、ずっと誰かと話したがっていた」
華は短冊を取り出し、テーブルに置いた。
「これは、あの子が書いたままだったんですね」
「……たぶんね。でも、七夕飾りには出せなかった。もしかしたら、誰かが回収してしまったのかもしれない」
西本の声が少し震えていた。
「願いごとって、本当は“誰かに見つけてもらう”ためのものかもしれません。
この短冊は、ずっと誰かに気づいてほしくて、ここに残っていたんだと思います」
華はそっと短冊を握りしめた。
引き継がれなかった願い。
でも今、その存在が確かに誰かの中で息を吹き返しつつある。
その瞬間、図書室の方から微かに風が吹き抜けた気がした。
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紙袋の行方
第1週 『見えない鍵』
第2週 『名前のない約束』
第3週 『宿帳の余白』
第4週 『買い取ってない品』
第5週 『願いは誰のもの』


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