長崎の夏は、坂道の石畳に熱を閉じ込める。
宮本梓は額の汗を拭いながら、祖母の家の物置の鍵を回した。
亡き祖母の遺品整理はもう何度目かになるが、奥の棚にまだ段ボールが積まれている。
古い箱をひとつ引き出し、蓋を開けると、色褪せた手帳や布切れ、陶器の欠片が雑多に入っていた。
その底に、小さな包みを見つけた。和紙に包まれ、糸で緩く結ばれている。
そっとほどくと、中から出てきたのはステンドグラスの小さな破片だった。
縦2センチ、横3センチほど。青と赤の色が入り混じり、光にかざすと複雑にきらめく。
ただのガラス片――そう思ったが、角にかすれた白い線が浮かんでいるのに気づく。
「……SAPP」
アルファベットの一部。
光の角度を変えると、続きの文字は途切れていたが、梓は直感した。
――これは「SAPPORO」、札幌の文字。
なぜ長崎の祖母の家に、札幌の文字が入った硝子片があるのか。
梓は首を傾げ、もう一度光に透かした。
赤い部分が夕陽のように輝き、青い部分は宵闇のように深い。
まるで、硝子そのものが記憶を映し出そうとしているかのようだった。
その瞬間、玄関から兄・智彦の声が響いた。
「梓、まだやってたのか。もう十分だろ、遺品整理なんて」
「……兄さん、ちょっと見て。これ」
硝子片を差し出すと、智彦は一瞥して首を振った。
「ただのガラスじゃないか。危ないから捨てろ」
「でも、“SAPP”って文字が……」
「いい加減にしろよ。過去を掘り返しても仕方ない」
智彦はそれだけ言い残し、家を出て行った。
残された梓は、硝子片を掌に載せたまま立ち尽くす。
――ただの欠片か、それとも祖母の過去に繋がる手がかりか。
ふと、窓から差し込む光が硝子を貫いた。
壁に映し出された光の模様は、歪んだ文字のように揺れた。
梓は胸の奥に小さな震えを覚えた。
それは確かに、祖母が伝え残そうとした“記憶のかけら”だった。
next>> 第2話 ― 祖母の手紙
第10週 『影送りの窓』<< Previous 第5話 ― 影送りの窓 ―
紙袋の行方
第1週 『見えない鍵』
第2週 『名前のない約束』
第3週 『宿帳の余白』
第4週 『買い取ってない品』
第5週 『願いは誰のもの』
第6週 『二人で書いた誓い』
第7週 『割れた陶片の先』
第8週 『夕立ちの残響』
第9週 『消えた宛名』
第10週 『影送りの窓』
第11週 『記憶を映す硝子』


コメント