宍道湖の夕陽は、今日も灰色の雲の切れ間から差し込んでいた。
座敷の窓に貼られた写真の左右をつなぎ合わせ、美鈴は深く息を吸った。
そこに残された二つの影は、父と、誰か。
消したはずの存在が、確かに並んで残っている。
従兄の拓人が机の上に置いた便箋を指で押さえる。
《影を残していく。影が消えたら、私はもうここにはいない。》
その字は淡々としていたが、強い決意を帯びていた。
「父は……自分を消したかったんだね」
美鈴の言葉に、拓人は黙って頷いた。
「でも、誰かが止めたんだ。写真が証拠。もう一人の影を、残した」
窓の外からは、鳥の羽音がかすかに届く。
美鈴は写真の裏を改めて確かめた。
昨日は読み取れなかったスタンプが、光の角度で浮かび上がる。
《札幌駅前》
インクはかすれていたが、確かにその文字が押されていた。
父が最後に残した“場所”。
松江を離れる前に、あえてここに印を残したのだろう。
「札幌……」
呟いた声が、畳に落ちて小さく響いた。
小樽と札幌。
第1週の始まりで手にした古い切符と鍵が、遠い北の地を指していたことを、美鈴は思い出した。
父は宍道湖の夕暮れで影送りをし、自分の影をここに封じた。
けれど、消しきれなかった影が、次の場所へと道を示している。
美鈴は窓の写真を外さずに、そのままにした。
半分のまま残された影は、いずれ戻る誰かを待つように、家を守っている気がしたから。
外に出ると、宍道湖に沈む夕陽が水面を赤く染めていた。
自分の影を足元に見下ろし、そっと目を閉じる。
影送りの遊びをした子どもの頃とは違う。
いまは、この影を見送るのではなく、共に連れて行くのだ。
「父さん……次は、札幌で」
湖面から吹き上げる風に、その言葉が溶けていった。
影は長く伸び、そして夜の気配の中へ沈んでいく。
けれど美鈴の胸の奥には、確かに消えない光が残っていた。
第11週 『記憶を映す硝子』next>>第1話 ― 割れた硝子
<< Previous 第4話 ― 写真の真実 ―
紙袋の行方
第1週 『見えない鍵』
第2週 『名前のない約束』
第3週 『宿帳の余白』
第4週 『買い取ってない品』
第5週 『願いは誰のもの』
第6週 『二人で書いた誓い』
第7週 『割れた陶片の先』
第8週 『夕立ちの残響』
第9週 『消えた宛名』
第10週 『影送りの窓』


コメント