翌日、梓は榊原とともに鶴岡市立郷土資料館を訪れた。
資料室の奥には、寄贈された古い郵便物や戦後の手紙が保存されている。
職員に案内され、二人は小さな木箱を受け取った。
ラベルには「昭和三十二年 鶴岡留置郵便」と記されている。
箱を開けると、古い封筒がいくつも並んでいた。
その中に、ひときわ紙質の薄い一通があった。
表には宛名がなく、裏面には――札幌の消印。
「……これだ」
梓は小さく息を呑んだ。
封筒の口は開いていない。
けれど、紙越しに筆跡の影が透けて見える。
“風間信一”――差出人の名。
その文字の下に、滲むような別の線があった。
榊原が静かに言った。
「中を開けなくても、内容はわかります。この手紙は、届かないことを前提に書かれた“風の便り”なんです」
「届かないことを……?」
「彼は各地に宛名のない手紙を残して歩きました。
宛名を書かずに、封も開けられないまま――でも、風が運べば、いつか届くと信じていた。
この手紙も、あなたのお祖母さんへの“声”だったのかもしれません」
梓は手紙を掌にのせ、耳を傾けた。
何も聞こえないはずなのに、心の奥で微かな囁きが響いた。
“この風を覚えていてくれ。北から南へ、光を渡していく。”
風間の言葉が、風そのもののように胸の中を通り抜ける。
祖母はこの声を感じ取っていたのだろう。
宛名を消された封筒は、届かなかった手紙ではなく――届いていた“想い”の証だった。
外から窓を揺らす風の音がした。
それはまるで、封筒の中の言葉が世界へ解き放たれていく音のようだった。
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紙袋の行方
第1週 『見えない鍵』
第2週 『名前のない約束』
第3週 『宿帳の余白』
第4週 『買い取ってない品』
第5週 『願いは誰のもの』
第6週 『二人で書いた誓い』
第7週 『割れた陶片の先』
第8週 『夕立ちの残響』
第9週 『消えた宛名』
第10週 『影送りの窓』
第11週 『記憶を映す硝子』
第12週 『消えた宛先の灯』
第13週 『風の便り』


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