引っ越しの荷解きが終わったのは、夜の10時を過ぎていた。
古い木造アパートの2階。窓を開けると、小樽運河の方から微かに潮の香りが漂ってきた。
遠山美和は、その匂いに鼻をくすぐられながら、段ボールの山に囲まれて息をついた。
「これで、やっと一息……かな」
東京での生活に区切りをつけて、心機一転。フリーライターという自由な職を活かして、土地に縛られない暮らしを始めようと決めた。選んだのが、母方のルーツがあるというこの小樽だった。
部屋の奥にある、歪んだ引き戸の押し入れを開けようとした瞬間――コトン、と小さな音が階段下から響いた。
「……?」
耳を澄ます。外に面した階段を、誰かが登ってきた様子はない。
気になって玄関の扉を開けると、薄暗い廊下の片隅に、小さな紙袋が置かれていた。
白地に紺の水玉模様。持ち手は少し古びていて、角がわずかに折れている。
「配達のミス……? でも宛名は……ない」
紙袋を持ち上げると、意外な重みがあった。玄関先で開けるのはためらわれて、部屋へ持ち帰る。
中から出てきたのは、小さな金属の鍵だった。表面には、削れたようなキズが無数にある。
鍵には何の刻印もなく、何を開けるためのものかもわからない。
けれど――その手触りに、美和の心は妙にざわついた。
「これ……見たことある。昔、姉が――」
言いかけて、美和は口をつぐんだ。
もう何年も前に亡くなった、姉のことを思い出すなんて。しかも、こんな鍵ひとつで。
記憶の底から、冷たい風が吹き上げてくるような気がした。
その夜、美和はなかなか眠れなかった。
アパートの外で、海の音がやけに大きく聞こえた。
まるで誰かが、扉の向こうで、ずっと待っているように――。
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