岐阜県・郡上市。
朝の空気は澄み、山の輪郭がくっきりと浮かんでいた。
木下咲良(さくら)は、バスを降りて、久しぶりに訪れたこの町の空気を深く吸い込んだ。
祖母の法要のために来ただけのつもりだったけれど、目に映る風景の一つひとつに、どこか懐かしさがにじんでいる。
「……あのお店、まだあるんだ」
駅から歩いてすぐの場所に、昔からある文具店「すずらん堂」。
小学生の頃、何かと理由をつけては入り浸っていた場所だった。
咲良は、ふと吸い寄せられるように扉を開けた。
中は、木の棚がきれいに並び、どこか落ち着いた空気が漂っている。
「いらっしゃい。あら、……咲良ちゃん?」
店主の女性・村井さんが、目を見開いた。
「久しぶりねぇ。10年ぶりぐらいかしら?」
「そんなになりますか。祖母の法要で帰ってきたんです」
少し話をしてから、咲良はふらりと店内の奥に足を向けた。
ノートや万年筆、便箋に混じって、古びた品が積まれたコーナーがある。
その中に、一冊のノートが目に留まった。
白い表紙に、水色のマスキングテープで補強された角。
少し反ったその表紙には、ボールペンで書かれた文字がかすかに残っている。
「交換日記・さくらと瑞月」
手が震えた。
思い出す、あの子の名前――瑞月(みづき)。
中学の頃、毎日のように顔を合わせていた、たったひとりの親友。
でも、ある日を境に突然口をきいてくれなくなった。
何がきっかけだったのかも、どうしてこんなふうに離れてしまったのかも、分からないままだった。
「……なんで、ここに」
咲良は、ノートのページをそっと開く。
そこには、あの頃と変わらぬ丸い文字。
明るくて、前向きで、いつも自分を励ましてくれた言葉の数々。
でも最後のページだけが、破られていた。
ノートの中で、唯一、何も書かれていない空白。
そして、最終ページの裏側に、ひっそりと書かれていた一言。
「咲良へ。もしこれを見つけたら、文集室で会おう。7月7日。」
文集室――それは、中学の裏にある、もう使われていない倉庫のような部屋。
部活の資料や古い文集が保管されていた、誰も入らなくなった場所だった。
「なんで、そんなとこで……」
不意に、胸がざわつく。
まるで“残された何か”が、時を越えて咲良を呼んでいるようだった。
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紙袋の行方
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