第8週『夕立ちの残響』第1話 ― 雨の匂いと古いテープ ―

第8週『夕立ちの残響』

柳川の夏は、朝から空気が重たい。
長谷川梢は、図書館の裏手にある資料倉庫の扉を開けた瞬間、むっとする湿気に眉をひそめた。
埃と古紙の匂いに混じって、かすかに雨の匂いがした。
天気予報は夕方から雷雨と言っていたが、まだ外は晴れている。

棚の奥で、細長い段ボール箱を引き出すと、中からカセットテープが十数本、ビニール袋にまとめられて出てきた。
黄ばんだラベルに油性マジックで書かれた文字――「放送部・未使用」。
梢は一瞬だけ、胸の奥に懐かしい痛みを覚えた。高校時代、自分も放送部に所属していた。

試しに一本取り出すと、ラベルは無地で、側面に細い傷が走っている。
持ち帰って調べようと一度は思ったが、好奇心が勝った。
倉庫の片隅に置いてある古いラジカセの埃を払い、電源を入れる。
カチリと再生ボタンを押すと、テープが回り出した。

最初に聞こえてきたのは、ざあざあと打ちつける雨音。
マイクに近すぎるのか、時折、低いゴロゴロという音が混ざる。
やがて、その雨音の中から、ためらうような息づかい。
そして――

「……ずっと、好きだった」

短く、掠れた声。男の声だ。
梢は思わず停止ボタンを押した。
心臓の鼓動が耳に響く。
なぜ、この図書館の倉庫に、こんなテープがあるのか。
誰の声なのか。

深呼吸して、もう一度再生する。
雨音が続き、しばらくして別の声――いや、同じ声が、ため息混じりにこう言った。

「いつか……小樽で、また」

小樽。
福岡県柳川からは遠く離れた北海道の港町。
梢にとって縁のない土地だったが、その響きに、何か心の奥をくすぐられる感覚があった。
けれど、理由は思い出せない。

テープの最後は、また雨音だけが残り、カチリと自動停止の音が響いた。
窓の外では、いつの間にか風が強まっていた。
空の色が濃くなり、南の方角から黒い雲が押し寄せてくる。

梢はテープをそっとケースに戻し、段ボール箱の他のテープと一緒に机に置いた。
――この声の主を知りたい。
その衝動が、蒸し暑い空気よりも重く胸にのしかかる。

やがて、ポツリと大粒の雨が屋根を叩き始めた。
まるで、あのテープの中の雨が、この町まで降りてきたみたいだった。

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