その夜、真帆は手紙の封を切った。
10年間、触れずにいたもの。
破れそうな薄い封筒の中にあったのは、小さな便箋1枚と、折り畳まれたプリントのコピーだった。
便箋には、たどたどしい文字でこう書かれていた。
「先生へ。
あの約束、ずっと覚えてるよ。
私が受かっても、落ちても、先生は私のことを“がんばった”って言ってくれるって、言ってたよね。
それだけで、もういいから。
お守り、ありがとう。大事にするね。
でも、もし将来、私が誰かにそれを渡すことがあったら、
それは、“がんばってほしい”んじゃなくて、“見守っててほしい”って意味だから。私の代わりに、そっとね。
●●より」
差出人の名前は、最後の行だけ破れて欠けていた。
わざとなのか、劣化なのか、読み取ることはできなかった。
折り畳まれていたプリントは、当時の受験校のリスト。
いくつかの校名には赤い丸がついていた。
そしてひとつだけ、手書きで加えられた学校名があった。
それは、いま岡部拓真が志望している中学と同じだった。
「……まさか……」
まるで、あの子が“拓真に託した”ように思えて、真帆は息をのんだ。
そのとき、スマートフォンが震えた。
塾のグループLINEに、拓真の母・弘美からのメッセージが入っていた。
「お守り、どうしても開けたいみたいです。
でも、開けたら何が起こるのか、私の方が怖くなって……
佐伯先生、今度の授業の後、お時間いただけませんか?」
“開ける”ということは、誰かの記憶を引き寄せてしまうことでもある。
そして、あの子が残した言葉のとおりなら、
このお守りは**「願い」ではなく「見守り」だった**のかもしれない。
静かに封筒を閉じた真帆は、深く息を吸い込んだ。
この思いが、どこへ向かうかはまだわからない。
けれど、きっと何かが変わり始めている。
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