「この筆跡、見たことがある気がするんです」
貼り紙をそっと差し出すと、店主の柴田はしばらく無言で眺めていた。
やがて、ため息のように静かに答えた。
「……似てるな。志乃に」
「志乃……さん?」
「5年前まで、ここで働いていた子だ。桐山志乃。手先が器用で、品物の手入れも、タグ付けも上手かった」
名前を聞いた瞬間、亜希の中の記憶がつながった。
以前、棚卸しで使われた古い伝票の中に、「桐山志乃」の名前を見たことがあったのだ。
「その人、今は……?」
「辞めてから連絡は取ってない。何か、思うところがあったんだろう。…“皿を返す”って言葉が、あの子らしい」
「ということは、この小皿、もともとはその人のものだったんですか?」
柴田は少し首を振った。
「いや、それが複雑でな。あの皿――俺が志乃に贈ったものなんだよ」
「……え?」
「ある時期、そういう関係だったんだ。深くはなかったけど、お互いに“どこか心が休まる時間”を求めてたのかもしれない」
「じゃあ……」
「たぶん、志乃にとってあの皿は、もらった“つもり”じゃなかったのかもしれない。何かを代償にしたと思ってたのかもな」
返す、という行為。
名前を書かない、という選択。
それは単なる「品物のやりとり」ではなく、心の決着だったのだ。
その日の帰り道、亜希は皿の模様を見つめていた。
小さな梅の花は、まるで何かを閉じ込めるように内側に丸まっていた。
“気持ち”というものが品物に宿るなら、
この皿には、渡すべきでなかったと気づいた“誰かの後悔”が残っている気がした。
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紙袋の行方
第1週 『見えない鍵』
第2週 『名前のない約束』
第3週 『宿帳の余白』
第4週 『買い取ってない品』


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