彦根城から少し歩いた、静かな商店街の裏手。
古道具屋「つるや」は、木の看板と小さな丸窓が目印の、時間が止まったような店だった。
**山瀬亜希(やませ・あき)**は、その店で働きはじめて一ヶ月。
古道具の知識はまだ浅いが、品物の扱いには自信があった。
この日も、開店前の掃除を終え、陶器棚の並びを整えていたときのこと。
「あれ……?」
ひとつの小皿に目が止まった。
淡い青磁に、控えめな梅の絵付け。縁には小さく金の滲み。
さりげなく美しい皿だったが――
「こんなの、あったっけ……?」
先週、この棚の並びを全部拭いた記憶がある。
だが、この皿だけは見覚えがない。
何より、タグの文字が新しい。しかも、いつもの手書きではなく、印刷ラベルになっていた。
「もしかして、新しく入荷した?」
確認のため、カウンター奥の買い取り台帳を開いた。
この一ヶ月の記録を一通り見返しても、「青磁・梅紋小皿」の記載はない。
「じゃあこれ……誰が?」
店主の柴田さんが店に出てきたのは、ちょうどそのときだった。
「おはようございます。……あの、これって昨日入ったものですか?」
亜希が小皿を見せると、柴田はほんの一瞬だけ間を置いて、首を振った。
「……うちで買い取った記録は、ないな」
「じゃあ、誰かが勝手に置いていったとか……?」
「可能性としては、なくはないけど……この棚、閉店後は必ずシャッター下ろしてるし」
柴田の言葉は穏やかだったが、目線は皿の上で止まっていた。
「……この皿、見覚えはありますか?」
「……似たものを、昔、扱ったことがある。けど、これは……」
柴田はそれ以上言わなかった。
“記録にないもの”が、いつの間にか自然に棚に並んでいる。
それは、誰かの意図によって“記録の外から”この店に戻されたような、そんな不穏さをはらんでいた。
亜希は、何かが動き始めた気配を、静かに感じ取っていた。
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