第3週『宿帳の余白』 第1話 ― 宿帳の余白 ―

第3週『宿帳の余白』

佐渡島・相川町。
海辺にひっそりと建つ木造二階建ての民宿「さざ波荘」は、観光の中心地から少し離れた場所にある。
潮の音と風の匂いが、いつもすぐそばにあった。

**村岡佳乃(むらおかよしの)**は、東京からの移住者。
半年前、会社勤めをやめて佐渡に渡り、この宿で住み込みの手伝いを始めた。

毎朝の決まり仕事は、宿帳の整理。
宿泊客が記入したページに、不備がないかを確認し、次の予約台帳と照らし合わせる。

その朝も、何気なく宿帳をめくっていた佳乃は、ふと手が止まった。

「……あれ?」

2泊したはずの春日和也・梨沙夫妻のページ。
初日の欄には、連名でしっかりと名前が記されている。
ところが、翌日の欄──部屋番号と日付は確かにあるのに、名前の欄だけが空白になっていた。

「記入漏れ……? でも、このページ、インクの跡が薄くある」

よく見ると、書いてから消したような筆跡がわずかに残っていた。

「消した……誰が?」

客が自分で消したのか。あるいは、誰かがあとから……。

まさか、いたずら?

それにしては不自然だった。
他の記録はすべて整っていて、空白があるのはこの日、この部屋だけ。

そのとき、女将が朝食を運び終えて戻ってきた。

「女将さん、春日さんたち、昨日もお泊まりでしたよね?」

「ええ。朝、きちんとご挨拶して出発されましたよ」

「……宿帳、2日目の記録だけ、名前が消えてるんです」

女将は帳面を見て、眉をひそめた。

「……珍しいこともあるもんだねぇ。うちはずっと紙でやってきたけど、こういうの、初めてかもしれないよ」

その声に、長年の経験からくる微かな違和感が混じっていた。

ただの記入ミス。そう言い切れない気配が、帳面から立ちのぼっていた。

“名前を書かない”ということには、何か理由があるのだろうか。

佳乃は、宿帳の余白を見つめたまま、しばらく動けずにいた。

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