週末、弘前市内の図書館の一角で、真帆はひとりノートパソコンを開いていた。
取材ではない。今は誰とも話したくなくて、仕事道具を持ち込んで“何もしない時間”を過ごしている。
お守りのことが、頭から離れなかった。
あの刺繍。あの手触り。確かに、自分の縫ったものだ。
偶然の一致……にしては、あまりにも細部が一致しすぎている。
「こんなところで会うとはな」
声をかけられて顔を上げると、そこには佐々木陽介が立っていた。
10年前、同じ中学校で教員をしていた、元同僚。
「……久しぶり。佐々木先生」
「もう“先生”じゃないよ。こっちも退職して今は地元の出版社でバイト中」
彼は隣の椅子に腰を下ろし、昔と変わらぬ軽い口調で続けた。
「最近さ、うちの編集部に、教育特集で“願掛け”に関する取材が来ててね。ふと、君のこと思い出してたんだよ。あの頃、ずいぶん生徒に寄り添ってたろ?」
「……そうだったかもしれないけど」
「そうだったよ。あの子の件、今でも気にしてるんじゃない?」
“あの子”。
真帆の胸が少しだけ痛んだ。
転校していった生徒。
将来のことで家と揉めて、最後は誰の意見も聞かなくなっていた。
真帆が渡したお守りは、あの子の心に届いていたのか。
それとも、ただの押しつけだったのか。
「……あのときね、君が渡そうとしてた“手紙”、あれ、まだ持ってるだろ」
真帆は驚いて佐々木を見る。
「……なんで知ってるの?」
「渡すかどうか、迷ってたって、当時聞いたからさ。あの封筒、開けたの?」
「……いいえ。まだ、開けてない」
佐々木は少しだけ微笑んだ。
「正直なところ、君らしい。でも、その手紙の中に、今の答えがある気がするんだよな」
図書館の天窓から、春の淡い光が差し込んでいた。
真帆はカバンの奥に手を伸ばす。
そこには、ずっと持ち歩いている小さな封筒がある。
未開封のまま、10年。
封を開ける準備なんて、きっと一生整わない。
でも、もしあの拓真が「開けたい」と言っているのなら。
それを止める資格は、私にはないのかもしれない。
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