その夜、真帆は久しぶりに、お守りを縫ったときのことを思い出していた。
あれは、教員になってまだ3年目の冬。
受け持っていたある生徒が、志望校をめぐって家庭と揉めていた。
真帆は、その子の気持ちを少しでも支えたくて、手縫いでお守りを作ったのだった。
だが、その“願い”がどうなったかは知らない。
あの子は転校し、真帆も教育現場を離れた。
──そして、今日。
自分が縫ったはずのお守りが、拓真のランドセルについていた。
誰が渡したのか。
なぜ今になって。
拓真と、かつての“あの子”に何か関係があるのか──。
翌日、英語の授業後、教室の外に岡部弘美が現れた。
「佐伯先生、こんにちは。お時間、大丈夫ですか?」
柔らかな口調と丁寧な身なり。
だが、その奥に張り詰めた空気が漂っていた。
「うちの子、お守りを気にしてるみたいで……“中に何が書いてあるのか見てみたい”って言ってるんです。けど、私はまだ開けさせたくなくて」
「……そうですか」
真帆は答えながら、内心戸惑っていた。
弘美は、あの刺繍に気づいているのか?
それとも、ただ“効き目”を信じたいだけなのか。
「お守りは、どなたから?」
問いかけると、弘美はふと視線を落とし、あいまいに笑った。
「夫の知り合い、ということにしてるんですけど……実は、あの子が小さいころにいただいたもので。手放せなくなってて」
何かを隠しているような口ぶり。だが確信は持てない。
帰り際、弘美はポツリとつぶやいた。
「……“あの子が欲しがってる未来”と、“私が願っている未来”が、同じかどうか、わからなくなるときがあるんです」
その言葉に、真帆はかすかに胸を締めつけられた。
かつての自分が、生徒に“願ってほしい未来”を押しつけていなかったか。
それが、あの刺繍に込められていたのではないか──。
拓真が開けたがっているお守り。
けれど、それを開いたとき、傷つくのは誰なのだろうか。
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