高松港の朝は、海風に混じって潮と魚の匂いが漂う。
月に一度の骨董市の日、港沿いの広場は夜明けと同時に色とりどりのテントで埋まっていた。焼き物、古い着物、昭和の玩具やポスター。目を凝らせば、時間の層をそのまま切り取ったような品々が並ぶ。
南雲奈央は、陶芸教室の休みを利用して、久しぶりにここへ来た。生徒への教材探しという名目はあるが、本当はただ、何か胸をざわつかせる「欠けたもの」に出会いたかった。
土の感触に触れていると、自分でも気づかぬうちに、割れたものや欠けたものに手を伸ばしてしまう癖がある。
広場を半周ほど歩いたとき、木箱に無造作に積まれた陶片が目に入った。
白地に青い唐草模様。手に取ると、ふっと指先が吸い寄せられるような感触があった。焼きが甘く、表面に小さな気泡が残っている。
「それね、割れたけど模様がよかったから残しといたやつだよ」
声をかけてきたのは、腰の曲がった小柄な老店主だった。七十代の終わりか、八十に近いかもしれない。
奈央は光の下で陶片を回した。裏面には、何かを隠すように古い新聞が貼りつけられている。茶色く変色した糊が、年月を物語っていた。
「剥がしてみても?」
「やめときな。下手に剥がすと土が欠ける」
店主は笑って、木箱の端を指差す。「そこのは全部百円。持っていきなさい」
新聞の端には、かすれた活字が見えた。
――昭和六十二年九月十七日 北海道新聞
奈央は思わず目を瞬いた。
香川で生まれ育った自分には、縁のない地名と日付。けれど、なぜだろう。胸の奥で、遠い記憶の水面がかすかに揺れた気がした。
ポケットから百円玉を取り出し、老店主の手のひらに乗せる。
「ありがとさん。…あんた、陶芸やってる人だろ?」
「ええ、まあ。わかります?」
「土の持ち方でわかる。あと、その目の動き。土肌を見る目じゃ」
奈央は少し笑って礼を言い、陶片を和紙に包んでもらった。
帰ろうとしたそのとき、背後から別の客の声が耳に入った。
「南雲の兄さん、今日は出とらんのか?」
その名前に、奈央の足が一瞬止まる。
老店主は「今日は来とらんよ」と軽く返し、次の客と話し始めた。
奈央は振り返らず、港の風の中を歩き出した。
兄の名を聞くのは、もう十年以上ぶりだ。
胸の奥に溜まった何かが、陶片の重みと一緒にゆっくりと沈んでいくのを感じた。
その夜、教室の作業台に陶片を置き、表の唐草模様を眺めながら紅茶を啜った。
割れた断面は鋭く、しかし年月が角を丸め、柔らかくなっている。
――どこかで見たことがある。
模様をなぞる指先に、忘れていた感触が蘇る。小さな手、小さな茶碗、笑う兄の顔。そして、割れる音。
窓の外では、港に向かう船の汽笛が低く響いた。
陶片は静かにそこにあり、奈央の記憶の奥に沈んだ何かを、そっと揺り起こしていた。
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紙袋の行方
第1週 『見えない鍵』
第2週 『名前のない約束』
第3週 『宿帳の余白』
第4週 『買い取ってない品』
第5週 『願いは誰のもの』
第6週 『二人で書いた誓い』
第7週 『割れた陶片の先』


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